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2016/8/6 術後8日経過

お尻から少量の泥状の便が漏れる。(汚い話でごめんなさい)ストーマなのに、少しは漏れるのだ。まぁ、繋がってはいないけれど、生きているのだ。尿漏れパットを当てておいたので、パンツは汚さずに済んだ。
今日は看護師さんの指導のもと、シャワー室でストーマを自分で剥がす事にチャレンジ。リムーバーを垂らしながら、皮膚を傷つけないように少しずつ剥がしてゆく。途中からシャワーをかけながらゆっくり剥がしていく。ストーマ装具の中にお湯がたまり、溢れる。汚いなどと言ってはいられない。看護師さんは慣れた手つきで、ストーマ装具を処分してくれた。その後、石鹸を泡立てて、ストーマとその周辺を綺麗にする。もちろん痛くはないのだが、かなり怖い。だってお腹から飛び出しているのは紛れもなく自分の腸の一部なのだ。とにかく毎日がチャレンジである。
そして、ようやく点滴を外す許可がでて、主治医から退院について、看護師長と相談するように言われた。退院までもう直ぐだ。

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2016.11.07 | | コメント(1) | 入院2回目

2014/8/5 入院7日経過

お腹からドレーンが抜かれる。ドレーンは左脇腹に固定されていたが、結局最後まで、お腹のどこに挿入されていたのかわからなかった。
後から看護師さんに「ドレーン抜く時って痛いんですか?」と聞かれたが、実際のところ、全く痛みはなかった。"ヌルヌル"っとした感じがあっただけだ。出血も何もない。人体とは不思議なものである。
お昼から一般食(ただし、主食は五分粥)開始。
このころから下腹部の痛みが強くなった。そこで痛みの箇所を特定するためにお腹を恐る恐る押していくと、筋肉痛であることが判明。病棟内を歩いたり、ベッドから起き上がるだけて筋肉痛になるなんて信じられない。しかも鼠蹊部だったり、普段筋肉痛にならない場所が痛い。夜マッサージをして寝る。

2016.11.07 | | コメント(0) | 入院2回目

術後2年後の検査結果

今年の7月に術後2年後の検査を受けた。検査の種類は、
・採血(腫瘍マーカー)
・胸部と腹部のCT(腹部は造影剤使用)
・胃カメラ(鎮痛剤使用)
・大腸内視鏡
もう何度も受けているとはいえ、やはりそれなりにキツい。でも、検査結果は異常なし。とりあえず一安心。次回の検査はようやく1年後となった。
生活上の不便はやはり排便障害。少しずつは良くなっている実感はあるものの、たまには、パットを汚してしまうこともある。
パットを汚してしまうと気分が暗くなってしまうし、夜中の便意は睡眠不足を引き起こす。でも一番は、いつ漏らしてしまうかわからない不安だ。仕方がないことではあるけれど、どうしても何事においても消極的になってしまう。
便意が近くなる食べ物は、中華麺、脂っこい食べ物、アルコール、生乳が多く含まれる乳製品、繊維の多く含まれる食品。何も気にせず、なんでも食べられるようになりたいよー。
それから体力の低下が否めない。努力すればもとに近い体力に回復できるのであろうが、気持ちで負けてしまっている。やれやれ。

2016.11.07 | | コメント(0) | 未分類

兄の急逝

少し前の話になるが、昨年の5月、二人兄弟の兄が急逝した。兄と私は歳が3歳離れていて、この日は兄の56歳になる誕生日の前日のことだった。病名は急性大動脈剥離。発症時は多少脳には血液が流れてはいたが、内臓への血流はほとんど遮断されてしまっていたらしい。日中家族と一緒にショッピングセンターで買い物をしている途中、急に苦しみだし、救急車で江東区にある近くの総合病院に運ばれたという。

一旦はその病院で検査を受けたのだが、専門の医師が不在と言うことで、その後都心のその症例を多く扱っている病院に移送された。父から連絡が入ったのは、都心の病院に運ばれた後だったが、かなり危険状態だということであった。しかし、もう少し状況がはっきりするまでは連絡を待ってくれとのことだった。

夕方になり、義理の姉(兄のお嫁さん)から電話があり、危険な状態なので、病院まで来て欲しいという。危険な状態と言うことはまだ助かる見込みがあるということであり、そのときの私は死んでしまうなんてことは全く想像できなかった。心のどこかできっと大丈夫だろうと思っていた。

急いで妻と二人で病院に行くと、父も義姉も甥もすでに来ており、早速医師から説明があった。病気・病状の説明のあと、人工呼吸器により心臓が動いているだけの状態であることを知らされた。すなわち、もう手の施しようがなく、いわゆる脳死の状態ということであった。面会後、すぐに人工呼吸器が外され死亡した。

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私と兄はあまり仲の良い兄弟ではなかった。私の記憶では、兄が中学生になって反抗期(思春期?)にはいってからは、ほとんど会話を交わしていなかった。兄と私は大分タイプが異なっていたし、当時私が敬愛していたヘルマン=ヘッセのことを"少女趣味"と批判されてからは、ほぼ絶交状態だった。お互い大人になり家族で集まった時には、他愛もない会話はしたが、そのぐらいの関係だった。

しかし、兄の死は私に不思議と大きなショックを与えた。兄の死からは私の生きる意味を失わせるほどのショックを受けた。どこかで兄をライバル視していたのかもしれない。兄の存在が私の生きる糧になっていたことを死んで初めて知った。兄の死から1年半経つが、結局まだ兄の死から立ち直れていない自分がいる。

テーマ:医療・病気・治療 - ジャンル:心と身体

2016.11.06 | | コメント(0) | 日常生活

2015/1/21 術後1年半経過後の検査結果

先週術後1年半後の検査ということで、採血とCTで胸部と腹部(造影剤)の映像を撮りました。今日、その結果を聞きに再び病院に行ってきました。検査結果は共に問題なしの診断。ホッとしました。考えても仕方がないことだけれども、どうしても検査結果を聞くまではナーバスになってしまうんですよね。

いままで3ヶ月サイクルで検査を受けてきましたが、次回は半年後。これも良いニュースです。でも悪いニュースもひとつ。ずっと主治医としてみてくださったI先生が3月一杯で他の病院へ異動されるとのこと。本当にお世話になったので、とても残念です。今まで本当にありがとうございました。

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家に帰って血液検査の結果を見たら、癌胎児性抗原の数値が上がってました。正常値の範囲内ではあったものの少しだけブルーな気分に。でも、先生からは「非常に順調です」とのお言葉もいただいているし、大丈夫だよね。

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2016.01.21 | | コメント(0) | ストーマクローズ後の生活

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プロフィール

茜丸

Author:茜丸
性別:男性
年齢:52歳
家族:妻と3人の子供
仕事:会社員
住居:東京

ストーマクローズ手術後、2014年11月7日に退院し、半月強の自宅療養を経て、12月から社会復帰しました。頻便を気にかけながら、なんとか毎日を過ごしています。

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